2021/06/21 17:37

近い将来、教案の失敗作へのニーズが起こるかもしれない


有償無償を問わず、多くの教案がオンラインで公開されている。

どれも教案作成者が実際に使ってみてうまくいったものばかりだ。

こうした教案を参考に、自分なりの教案を作ってみようとしてもなかなか思うようにいかない。

どんなに経験が浅い日本語教師でも、最初から低品質の教案を作ろうだなんて思わない。

むしろ逆で、自分にできる最高のものを作っても、日本語学校の教務主任や先輩からダメ出しの嵐だ。


日本語教育業界では成功例は積極的にシェアされている一方、失敗例はわたしは今のところ目にしたことがない。

良い教案、教材、指導法を模倣することがスキルアップへの近道だと信じられているため、失敗例は余計な情報だと思われているのだろうか。

本当のところはわたしにはわからない。


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だが近い将来、教案の失敗作に対するニーズが起こるだろう。

わたしたちはどんなに優れたものを見ても、自分たちの現状の差を認識しない限り本当の良さは理解できないからだ。

ただ「へぇー、この教案はすごいなぁ」で終わってしまう。

あるいは自分で教案を作ってみても、自分では良い教案を真似してみたつもりでいるから、どこがどうだめか他の日本語教師から言われるまで気づかない。

それなら、現在優れた教案を公開している日本語教師が、かつてうまくいかなかったときの教案を公開するようになったら大変ありがたいだろう。


日本語教育に限らず、現代の人間に支持されているあらゆるものの多くは膨大な数の失敗の上で成り立っており、後進がうまくいくように失敗談も公開されている。

失敗談は無駄な情報なのではなく、ある方法では思うような結果はでないという、1つの貴重な知恵なのだ。

失敗例も成功例と同じように、日本語教育業界という巨大なデータベースに蓄積されれば、ゆくゆくは統計学も活用して文型ごとによい教案の条件をあぶり出すこともあり得る。


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わたしもBASEで現役日本語教師から教案を募り販売しているが、日本語教師向けオンラインショップでも、教案のビフォーアフター(新人時代の教師と最近の教師)がセットで販売されるようになるのではと予想する。


日本語教案業界でも成功例だけでなく、失敗例の共有が進まない限り、業界全体のレベル向上において効率が悪い。

そう誰かが問題提起する日が来るのは、そう遠くないだろう。